きうまのふぉとらいふ

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壊れた羅針盤

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でっかい風車だな

いつまで経っても行き先を指し示せないでいる、僕の頭の中の羅針盤のように、大きな風車が止まる気配もなく風を切りながらグルングルンと回っています。

僕はねえ、探しているんですよ。自分のやりたいことを。

探し始めて、もうかれこれ1ヶ月近く経つのですが、「これだ!」と思うものが見当たらない。

生活や仕事の中で起こる課題に対する解決策なんかは、1週間くらい考えれば思いつくものですが、今回は考えれば考えるほどに頭の中がむずがゆくなり、眠たくなって明日に持ち越していく日々。



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ひとつの結論

見つかりそうで見つからない、そんな掴みどころのない状態で1ヶ月を迎えて、ひとつの結論が出ました。

はじめから「自分のやりたいこと」なんて無かった。


そもそも僕は、生まれてから今まで、周りの見よう見まねで生きてきました。

オリジナリティとはかけ離れた生き方をしている僕には、「自分」と言うものが欠落しているので探したってあるわけがないのです。

「空っぽ」とは状態のことであって、物体として目に見えるものではないので、「無いのだ」と気付くことが出来なかったと。

今思えば、「自分のやりたいこと」を探す旅路は、蓋をこじ開けて、その先のブラックホールに踏み込んで行くような、無限地獄への危険な旅行だったと感じています。



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じゃあ、写真を撮ることやブログ記事を書くことなんかは「自分のやりたいこと」ではないのかと言うと、やりたいことではあるのですが、心からやりたいことと言う意味で考えると疑問に思うところがあります。

しかし、「心からやりたいこと」となると、それはもはや食欲なんかの人間の三大欲求と同レベルのことになってしまうなあ。

そうか、食欲と同じくらいのものを探しても、それは人間の欲求の中のどれかしか見つからないし、そこに僕が思うような、例えば写真を撮ることなんかの「自分のやりたいこと」を見つけることなど出来ないのは当たり前ですね。

なるほど、記事を書いてて解決しました。(笑)



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つまり、三大欲求の中に、ありもしない4つ目の欲求を探していたわけですね。

探す階層を間違えてるって言う、相変わらず僕はアホですねえ。

では、「自分のやりたいこと」は「自分の好きなこと」と同意義と考えてみればどうか。

なんかちょっと僕のイメージと違いますが、これなら敷居が低く感じます。

写真を撮ることやブログ記事を書くことなんかを含めても違和感はありません。



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「自分のやりたいこと」を「ライフワーク」と同意義として考えてみるとどうだろうか。

これなら、僕のイメージする「自分のやりたいこと」に合致します。

しかし、「ライフワーク」と言えるほど自分が密接に関わっているものごとは思い当たらないです。

であれば、「自分の好きなこと」に対して密接に関わることで、それが「ライフワーク」となるのではないかと推論してみます。

うん、そのあたりが「自分のやりたいこと」の落としどころかもしれませんね。

まとめると、「自分のやりたいこと」は「自分の好きなこと」に密接な関わりを持つことで生まれるものなのではないかと思います。

じゃあ、密接に関わるにはどうしたら良いのか。

なんか頭がむずがゆくなってきたので明日にしよう。



ご観覧ありがとうございました。
ほんならまただわ!